彼岸にて「魂」を思う

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

彼岸にて「魂」を思う


ウラン・ウデには、ロシア人が6割、ブリヤート人が3割、それ以外の民族が1割、
居を構えているそうだ。
ブリヤート人の墓園。
ロシア人ガイドさんによると、
「ロシア人は年に一度、墓参りをする。
 ブリヤート人は墓参りをしない。
 埋葬時に立ち会うだけ。そこにいるのは、男性だけ。
 女性は絶対行ってはいけない。
 これから身籠る身体に、差しさわりがあるといけないから」
ということである。
遠目にも、参拝をする習慣がないのがわかる。人の気配がまるでない。
日本人には、先祖供養という習慣がある。
私も割とマメに墓参するほうだと思う。
しかし、亡き人の骨に、その魂が宿り続けると思っていない。
もし骨に思念が残るなら、幼いころ投げ捨てた乳歯の数々にも、私が宿っているはずだ。
歯科医院には、たくさんの霊が犇めいているはずだ(怖い妄想である)。
しかし、そんなことはない。
私は、魂を考える時、蝉の抜け殻を連想する。
大事なものは、もう飛び立っていった――そんなイメージをもっている。
墓の中でなく、故人を偲ぶ想いに宿るのだと思う。
仏壇であれ、墓前であれ、遥拝であれ、想えばつながる。
先に旅立った大事な人たちを思いつつ、再びの邂逅まで、前へ進むことを心の内で語る。
それが、私の魂に対する向き合い方。
PR