彼岸にて「魂」を思う

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彼岸にて「魂」を思う


ウラン・ウデには、ロシア人が6割、ブリヤート人が3割、それ以外の民族が1割、

居を構えているそうだ。

ブリヤート人の墓園。


ロシア人ガイドさんによると、


「ロシア人は年に一度、墓参りをする。


 ブリヤート人は墓参りをしない。

 埋葬時に立ち会うだけ。そこにいるのは、男性だけ。


 女性は絶対行ってはいけない。

 これから身籠る身体に、差しさわりがあるといけないから」


ということである。

遠目にも、参拝をする習慣康泰旅行社 がないのがわかる。人の気配がまるでない。


日本人には、先祖供養という習慣がある。

私も割とマメに墓参するほうだと思う。


しかし、亡き人の骨に、その魂が宿り続けると思っていない。

もし骨に思念が残るなら、幼いころ投げ捨てた乳歯の数々にも、私が宿っているはずだ。

歯科医院には、た脫髮中醫くさんの霊が犇めいているはずだ(怖い妄想である)。


しかし、そんなことはない。


私は、魂を考える時、蝉の抜け殻を連想する。

大事なものは、もう飛び立っていった――そんなイメージをもっている。



墓の中でなく、故人を偲ぶ想いに宿るのだと思う。


仏壇であれ、墓前であれ、遥拝であれ、想えばつながる。



先に旅立った大事な人たちを思いつつ、再びの邂逅まで、前へ進むことを心の内で語る。


それが、私の魂に対する向き合い方。
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